音楽についてのよもやま話
音楽雑記帳


イタリア・バロック音楽のすばらしさ



先進地帯・イタリア


 クラシック音楽の世界では、バロック音楽ではバッハ・ヘンデルが格別偉いことになっていますし、古典ではモーツァルト・ベートーヴェンなどの才能をあがめる人が多いのですが、イタリアバロックの作曲家では一般に有名なのはヴィヴァルディー、それに次いでせいぜいコレルリ(コレルリはヴィヴァルディー以上にすばらしいと私は思います)ぐらいで、ほかの作曲家たちは何となく「群小」扱いをされているきらいがあります。

 しかし、実は18世紀当時の西欧では、イタリアこそが、きら星のごとくに最も多くのすぐれた音楽家たちがひしめく音楽の最先進地帯とみられていたのであって、ヘンデルもバッハの息子たちもモーツァルトも、みんなイタリアで勉強しました。またイギリスのような「お金はあるが文化は(少なくとも音楽方面では)やや遅れていた」ような国は、さかんにイタリアから音楽家を招いて音楽家不足を補っていたのです。

 このことを、私も知らないわけではなかったのですが、RJPのプロジェクトを始めてたくさんのイタリア人作曲家の作品に親しむようになってから、深く実感するようになりました。イタリア・バロックの音楽は、ほんとうにすばらしい音楽の宝庫です。


「マイナー作曲家」ばかり掘り出す?

 あるアマチュア愛好家(たしかフルートのかたで、リコーダーはご自分ではあまり演奏されないかたです)が、「リコーダー好きの人たちときたら、聞いたこともないようなマイナーな作曲家の作品ばかり探し出してきてやっている。大作曲家のいい作品があんまりないからだろう。ほんとにご苦労なことだ」と、同情しつつ笑っていらっしゃったことがありました。たしかに、ヴェラチーニ、バルサンティ、マルチェロ、サンマルティーニといった作曲家たちにおいては、リコーダー曲以外の曲が演奏されたり愛好されていたりする例は今のところあまりないように思います。その意味では、「リコーダー愛好家ぐらいしか知らないような作曲家」がたくさんいるわけです。

 しかし、虚心に曲を演奏してみますと、私はたとえばテレマンのリコーダーソナタに比べてこれらのイタリアバロックの作曲家たちの作品が劣るものだとは全く思えないのです。リコーダーファンだけが、これらのすぐれた才能を持つ作曲家のすばらしい作品の真価を知っているということなのではないか。


なぜイタリアバロックの作曲家は忘れられたか

 それにしても、なぜイタリア・バロックの素晴らしい作曲家たちの作品が、こんなにも埋もれたままになっているのでしょうか。たぶん彼らはリコーダー曲以外のジャンルでも同様のすぐれた仕事をしていたに違いないのです。そういうなか、リコーダー曲はまだしもリコーダー愛好家によって愛されていますが、他のジャンルの作品などほとんど演奏されていません。

 これは、私の考えでは、まず第一に、「バロック音楽・18世紀音楽のすべてがいったんは忘れられた」ということがあります。マルチェロやバルサンティだけではなく、バッハもヘンデルも、それどころかモーツァルトの作品ですら、実は19世紀後半にはすっかり忘れられていたに等しかったのです。

 なぜこうなってしまったのでしょうか。その根本原因は、「音楽は演奏しなければ聞かれない」からだったのです。たとえば絵画であれば、ルネサンスの大家・ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチの作品も、バロック時代のリューベンスやレンブラントの作品も、いつでも教会や美術館で見られました。ところが、音楽は、いくら楽譜は残っていても、演奏されないことにはそれは存在しないに等しいのです。そして、演奏する音楽家の数が限られている以上、昔の作品をしのぐ人気のある作品が次々に新しくつくられれば、演目は新しい作品に偏ってしまい、古い作品はしだいに埋もれていってしまいがちになったのでしょう。また、ここには私がこれまで別の文章で繰り返し述べたように、19世紀の「名人演奏家の公開演奏会の(しかも市場原理に支配された)文化」の成立という事情もおおいに関わっています。

 そして第二に、18世紀末からにドイツ・オーストリアにはハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトら音楽史上最高の天才たちが続々と登場したのに対し、19世紀イタリア音楽は、オペラにおいては重要な作曲家が多数(たとえばロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニなど)いますが、器楽曲ということになるとドイツ・オーストリアに圧倒された感があります。そしてこの結果、モーツァルトやベートーヴェンの先輩格にあたるバッハやヘンデルは比較的早くから見直しが進んだのに、イタリアバロックの天才たちは再評価が進まないままに来てしまったのではないかと思います。現在に至るもなお、クラシック音楽の演奏市場においては19世紀作品が圧倒的な地位を占めていて、そもそも「バロック音楽」全体に対する需要が(商業的な観点からみれば)少ないなかで、「バロックなんてバッハとヘンデルだけで十分だ」みたいな空気もあるのでしょう。


名作の宝庫・イタリアバロックの作品を楽しもう

 以上のように、イタリアバロックの作曲家たちの真価があまり広く知られていないのは、かれら自身の力不足や作品の魅力不足が原因ではないのです。バロック音楽はいったんすべて忘れられてしまった中で、ただかれらに続く世代の作曲家たちがドイツ・オーストリアの大天才たちに及ばなかったことによって、その「先輩たち」であるかれらの再評価が進まなかったのが最大の原因だと思います。

 しかし、幸いなことに、音楽作品は不滅です。絵画のように色あせたりひび割れたりすることすらもなく、完全な形で残って、演奏されるのを待ってくれているのです。これらの名作の宝庫を探索するのは本当に楽しいことです。バッハやヘンデルやテレマンにけっして劣らないすばらしい才能を持ち、歌謡性や色彩感などいくつもの点でこれらのドイツ系作曲家たちをはるかに凌駕する魅力も豊かに持っている、イタリアバロックの名作の数々は、私たちリコーダーを愛する者にとって、本当にすばらしい宝の山なのです。

 「リコーダー愛好家は、名作があまりないから、マイナーな作曲家の作品を掘り出している」ですって? とんでもない。「人類の至宝というべき名作の数々がここにたくさんあるということを、今のところリコーダー愛好家たちだけが知っているのだ」というべきなのです。

(2005年7月22日)
リコーダーJPディレクター 石田誠司

  

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